私たち夫婦について
結婚約20年になる、もうすぐ50代に突入する夫婦。
夫の職業は日本料理人、私は美容師です。
海外への興味や今までのプロフィールです。
私は幼稚園から英語教育が受けられる幼稚園に入っており、英語はみごとに話せませんが、幼い頃から外国人に接する環境にいました。
私が小さい頃は今のようにあちこちに外国人がいるわけではなかったので、まわりの子は外国人を見ただけで「ガイジンだー!!」と騒ぐような時代でしたので、そんな人達を見て「え?何言ってんの」みたいな感じでした。
中学生の時にアメリカ西海岸へ3週間旅行へ行き、サマーキャンプやホームスティを経験。ですがその時ペアを組んだ友人が英語がとても上手だったせいか、その子任せの私は英語を話すこともなく、楽しく過ごしたわけです。
大学生の時はゼミでカナダのバンクーバーへ。楽しい旅行でした。
20代前半の時にワーキングホリデーでオーストラリアへ。ここでも英語は使わず日本人向けナイトクラブや日本料理店で働き、日本人コミュニティの中で生活することに。シェア先のオーナーの女の人がオージーの彼氏と同居していて、私も一緒に暮らしていたのですが、私が話せないので彼の日本語はどんどん上達していきました笑
その他スペイン、イギリス、バリ、インドネシア、ハワイ、グアムなど行き、英語はできませんが海外旅行は大好きなんです。
一方夫は、結婚式をしたハワイが初、海外。飛行機も初めてだったそうでそれはそれは幸せだったらしいです。(夫はあまり嬉しい感情を表に出さないので気が付かなかったのですが、実はとーっても楽しかったらしいです)
あまりにハワイが気に入ってしまい、グリーンカードに応募してみようか!という事になり、自力で応募。(代行してもらうお金もなかったので、いろんなサイトを見たり翻訳して自力で申請しましたが、ちゃんとできていたかは不明)
とてつもなく当選確率は低いですもんね・・・
これを書き起こすまでグリーンカードに応募したことすら忘れていたくらいです。
グリーンカードに応募したのは1回のみで、あとは普通に過ごしていたのですが、ある時図書館でマレーシアへ移住するという本を見つけ、リタイアメントビザ(MM2H)を申請しようと意気込み、その本に載っていた目黒区のコーディネイター的な方へも会いに行きました。
この本を読む数年前に、マレーシアに住んでいたというお客様に出会い、マレーシア暮らしをとても推していたので少し興味がありました。
その時のビザの条件が、50歳以下の場合は日本円で約2000万円の定期預金(マレーシアの)を組むことなどなどだったような気がします。
ただ、その後、マレーシアに行く気は失せてしまいました。やはり、リタイアメントビザなので、向こうのコミュニティを見ると老人達のダンスクラブだったりするし、なんかつまんないなぁ、飽きちゃいそうだなと思ってやめてしまいました。
ここ数年日本から出稼ぎに行く人達やワーホリの人達をテレビで見ていて、いいなぁ、子供ももうすぐ独立するし、夫婦で海外に行きたいなぁと思っていて、仕事が落ち着いたら本格的に調べ始めようと思っていた矢先、私のサロンに1年ぶりにいらしたお客様が海外で働いていることを知り、いっきに私の海外移住熱が加速しました。
それは、私が働くことをイメージしていた東南アジア、アメリカ、ヨーロッパの国々ではありません。
ドバイでした。
ドバイで働いているというお客様に出会い、いっきにドバイという都市を意識するようになりました。
続きはまた次回に書きたいと思います。